学生時代
私はラグビーが大好きで、高校・大学とラグビーに打ち込んでいました。そんな中、大学2年生のある日、練習時に足を大怪我してしまったのです。
その瞬間の膝から聞こえた「ブチッ」という音は、今でも鮮明に覚えています。見てみると、膝の関節が反対に向いていました。
膝のじん帯は断裂していたので即手術、その後ギプス生活です。
そんなつらい日々に耐え、ギプスを外す日がやってきたのですが、外してみると私の丸々と太かった太ももは、女子の足ほど細く弱弱しくなっていました。
選手としてグングン成長し乗りに乗っていた時期だったので、「なぜこんな時に」と愕然とし、「ラグビー人生は終わった」とまで思いました。
暫く立ち直れませんでしたが、それでも何とか復活したいと一人で黙々とリハビリを続けていました。
当時はトレーナーの存在はなく、頼れる人もなかった私は、リハビリの本を片手に藁にもすがる思いでリハビリに取り組みました。
そんな努力が実を結び、少しづつ回復。
そして4年生になったときにはなんとレギュラーを争うまでに。
その時の経験で、「選手の怪我を早く回復させるトレーナーの存在の必要性」を痛感。
少しでも早くケガからの復帰のサポートを仕事としたい思い、卒業後にトレーナー養成の専門学校に進みました。
開業
卒業後は母校の大学ラグビー部の専属トレーナーになり、怪我の選手のケアやリハビリの指導の担当。
5年間専属トレーナーとして活動しましたが、それは一部のアスリートや選手だけでなく、一般の方も必要なのではないかと思うようになりました。
そうして専属トレーナーを辞め、一般の方向けの体のケアを指導するトレーニングスタジオ「e+condition」を開業しました。
一般のトレーニングを指導していく中で、多くの女性のお客様が外反母趾を患っていることに気が付きました。
今までの知識を使いながら改善にあたりましたが、思うように改善は見らません。
外反母趾改善のテーピングやインソールトレーニングを学び、施術やエクササイズを処方するも、どれも根本的な改善にはつながりませんでした。
それでもあきらめることなく、足の解剖や運動学を学びなおしていく中で、外反母趾の根本原因は歩き方にあるのではと思い至るようになります。
そんな中、外反母趾改善の歩き方を提唱している中島武志先生を知り、講座に参加。
そこで教えられたのは今まで自分が学んできたものとは全く異なった、それでいて理にかなった歩行理論。目からウロコで、大きな衝撃を受けました。
そして実際に初めてその歩法「ゆるかかと歩き」を体験した時は、足がとても軽くどこまででも歩いて行けそうな軽快さで、更に衝撃でした。
そしてその指導法も理論的に確立しており再現性も高く、「これならあらゆる年代にも対応できる」「ぜひとも多くの方に広めたい」と強く思いました。
そして中島先生から直接指導を仰ぎ、指導資格を取得。
施設内に外反母趾改善専門部門(埼玉外反母趾矯正センター)を立ち上げ現在に至ります。
習得のための頑張りは必要ですが、「体に負担の無い歩き方」というのは「一生使えるスキル」。
私は皆さんにそれ身につけていだだき、痛みで悩まない快適で活動的な生活を送っていただきたい、そう思って精一杯お手伝いさせていただく毎日を過ごしています。